複合機のプロ
ぼくたちは、長い間いっしょに暮らした。
夫婦だけができる無言の会話に通じていた「来年の六月、つまり一年後ぐらいにはできると思う」ぼくがそう言うと、RもKも黙ってうなずいた。
Bがすかさず切り込んできた。
「もう少し早くならないのか」ぼくは、その問いには答えずにこう言った「資金調達に力を貸してほしい今のぺ-スでいくと、四か月ぐらいで資金は底をつく。
いくら引き延ばしても、六か月が限界だそうなれば、ゲームはおしまいになる」「資金調達の心配はいらない誰もが金を出した。
がっばっているんだから」Jが一言う「妥当な値段ならね」Bが注をつける。
Mが口を聞いたのは、このときだった。
「資金不足で、このすばらしいプロジェクトが頓挫するなんて、とんでもない。
Jこの前の値段はいくらだった? 資金調達最初に百五十万ドル集めたあと、しっかりした。
予算を組み、三か月後に同じ投資家からさらに五十万ドルを集めていた「第一回目が一株あたり四 セント二回目が六セント」とぼくは答えた「その後、従業員に株を割り当てたから、現在の評価はどうなる「六セントかける約一千万株だから、だいたい六百万ドル」Mはしばらく考えてからこう言った「その二倍にしよう。
千二百万ドルだ」ぼくはRと顔を見合わせた信じられない。
デモがうまくいっただけで、会社の価値が二倍にもなってしまうのかぼくたちはJの顔を見たJなら、Mをたしなめてくれると思ったからだ。
Jは前かがみになり、頭を抱えた馬鹿を言うなそう言いたい気持ちをジェスチャで示したのだろう。
Jはそのままの姿勢でしばらく動かなかったが、やがて、落ちつきのない小学生のように、左足でことこと床を叩きはじめた。
そして、がぱっと顔をあげた「千六百万ドル要求しよう」Jは、Mの判断力には大変な敬意を払っていたが、なんでも極たち限まで追求しないと気が済まない性格だった。
Mの頭を冷やそうとしていたのではなかったのだ。
MとJはにらみ合ったポーカーのいかさま師同士が、互いに賭け金をつり上げていくような感じだった。
Kの身体は、ずるずる椅子に沈みはじめたこの場から消えてしまいたいと思っているのかもしれないぼくは何か言わなければならないと思った「どこに話をもっていけばいいだろう。
」この質問にはMが答えた「そうだな。
大手のISVがいいだろう。
金が余って困っているやつらに話を持っていこう。
ISVというのは、インデペンデント(独立系)ソフトウェアベンダーの略で、他社のオペレーティングシステムで、でるアプリケーションをつくった。
「まさか、Mに話をもっていくんじゃないだろうな」Mの長年の宿敵がBGであることは知っていたので、ぼくはできるだけ早く話題を変えたいと思ったぼくはJに言った「いずれは、彼らにも声をかけないとぼくたちのプラットフォームは、すべてのアプリケーション開発会社にオープンにした。
いと思っているから」「Gはこっちを出し抜くために、すぐに同じプロジェクトをスタートさせるぞ」Jが声を荒らげた「うちに投資をするんなら、そんなことはしないよ。
それに、NDAにサインさせる手もある」NDAというのは、ノンディスクロジャアグリメントの略で、提携相手から得た情報の使い方を制限する契約である。
この契約を結べば、限定された範囲で相手に機密情報を教えても、知的所有権が侵害される心配はない。
Jのこわばった表情はしだいにゆるんできた。
「値段が妥当なら、それもいいだろう。
どうせやるなら、早めに話をもっていったほうがいい」Jはそこで掌をはげしくこすった「二千万ドルではどうだろう」Kの顔は青ざめていた頭をうしろの壁にあずけて、「ぼくはそれでいい」とMが言った。
ここまでのやりとりを無表情で聞いていたBは、口を出す時がきたと判断した。
「いいかいくらふっかけてもいいが、これは危険なゲームだ。
中間で資金を調達するときは、値段が大きく動きやすい資金が底をつきかけていると思ったら、相手は待ちの戦法をとってくる値段がどんどん下がりだしたら、みんぽかんと口をあけていた「何を言っているんだ。
適正な値段なんでものはない買いたいヤツと売りたいヤツが出会って値段は決まる。
それだけの話だ」「やめろと言っているんじゃない。
ふっかけすぎるのは危険だと言いたいだけだ」Bは言い返した。
会議が終わったあと、RとKがぼくの部屋にやって来た「うまくいったと思う。
とぼくは言った「うまくいきすぎだよ。
あんな値段を聞いたら、鼻血が出る。
そう一言って、鼻の横をたたいた「しかし、あの連中は専門家なんだ」とRは言う「ぼくたちが何を言ってもはじまらない。
金のことは、連中にまかせておけばいい」「たしかにそうだ。
しかし、ふっかけることは、かならずしも会社のためにはならない。
Bが言ったことを忘れちゃいけない」そうKは言うぼくは肩をすくめた「失うものなんか何もない。
明日の朝一番に、Gに電話してみるよ。
この三人は、ソフト会社ビッグスリ-のCEOだ。
何日かして、ロサンゼルスで会う約束をとりつけた。
しかし、Gは、うちの会社に来て、デモを見たいと言ったぼくとRは旅に出た。
ロータスとは以前に関係があったこともあり、CEOのマンジは、知っていた。
だから、慎重すぎるくらい慎重になるのも当然だったうえで、後日連絡すると約束した。
アシュトンテイトのエドエスパのほうは、驚くほどうまくいった。
説明を終えたとき、エスパが興奮しているのは手にとるようにわかった。
「自分がこんなにも頭が固いとは思わなかった。
これはすばらしいさっそく検討してみよう」エスパーはそう言った次の仕事は、MのBGを招待することだった。
Gはすぐに、家来をひとり引き連れてやって来たリラックスした格好だった。
スラックスにボタンダウンのワイシャツ一番上のボタンははめていない。
Gの薄茶色の髪は襟足までかかり、眼鏡の前で揺れていた二人とも、大学の説明会に来たあと、市内の探検に繰り出した。
高校生のような感じだった。
Gは入ってくるなり、受付の机にぽつんと置かれた新しいマッキントッシュの前で足を止め、どんなソフトが使われているかを調べた出迎えに行こうとすると、Rに呼び止められた「GはNDAにサインしてきたかなどれだけのことを話せばいいんだろう。
」「NDAについては、向こうの弁護士と話がついている彼はサインした。
契約書を持ってきているはずだ。
ぼくたちが彼に話すことは、うちの会社とのビジネスを考えるうえでしか使えないそう契約書にはっきり書いてある。
それ以外の目的では使えないだから、やっていることを説明し、デモを見てもらい、協力し十分検討したもらおう」ぼくがそう言っても、Rはまだ心配そうだった。
DOSを使わないことを知ったら、気分を悪くするんじゃないか。
」 資金調達会社というものは多かれ少なかれ、創業者の個性を反映したものになるが、Mの文化はGの個性そのものだ。
Gが目指しているのは、パソコン用ソフトの市場を支配することだった。
あらゆる競争相手を叩きつぶし、不毛の荒野でほそぼそと食いつないでいくだけの会社に零落させることだった。
ロタスのような会社の急成長は、自分に対する挑戦だと受け止めていた。
誰がみても、Gは頭がいい。
しかし、大学は出ていない博士号をもっていても、なんの不思議もないが、学士号さえもっていないすべての勝利を完壁なものにしたいという執念の背景に、学位をもたないコンプレックスがあるのかもしれない。
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